福岡発:食べて、遊んで、旅をして (元:ペナンDeジャラン) 


早期リタイア、毎日が日曜日
by hiriver
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
全体
日本あれこれ
旅行:ハワイ
旅行:西カリブ海クルーズ
旅行:フランス・パリ 他
旅行:エジプト
旅行:スペイン
旅行:イギリス ロンドン
旅行:アメリカ
旅行:スイス
旅行:イタリア
旅行:ドイツ
旅行:トルコ
旅行オーストラリア/メルボルン
旅行:ゴールドコースト
旅行:オーストラリア/パース
旅行:ニュージーランド
旅行:インド 
旅行:グアム
旅行:バンコク
旅行:ベトナム:ホーチミン
旅行:カンボジア
旅行:中国
旅行:プーケット島
旅行:コタ・キナバル
旅行:ランカウイ島
旅行:レダン島
旅行:ジョグジャカルタ
旅行:サムイ島
旅行:バリ島
旅行:KLとマラッカ
旅行:ボルネオ島
旅行:シンガポール
旅行:ゲンティン・ハイランド
旅行:ジョホールバル
旅行:コタ・バル
旅行:クアンタン
旅行:ジャカルタ
旅行:スマトラ島(メダン)
旅行:台湾
ペナン:日常ものおもい
ペナン:日常ドタバタ
ペナン:日常ごはん
ペナン:コンドミニアム
ペナン:散策・運動
東日本大震災
北海道
東北6県を廻る
東京
名古屋
大阪
京都
沖縄
富士山・伊豆
軽井沢・上高地
立山黒部アルペンルート
足立美術館、出雲大社
三重:伊勢神宮
和歌山
四国 遍路の旅
有馬温泉、六甲山
岡山:倉敷
滋賀
阿蘇、内の牧温泉
阿蘇、火の山温泉
久住温泉
佐賀
長崎
山口
未分類
以前の記事
タグ
画像一覧

息子が逝きそうに、思い出ポロポロこぼれるから、思い出づくり

息子の誕生日は11月下旬なので、私が沖縄へ発つ10月下旬に「12月の頭に沖縄から戻るから、我が家でオマエの都合がいいときに誕生祝いをしよう!」と息子にメールをしておいた。

息子は毎年、ヨメと私の誕生日を、豪勢なプレゼントと外食で祝ってくれている。

そのお返しに、我が家で息子の誕生日祝いを毎年してあげているのだが、それは私の罪滅ぼしの意味合いが強い。 
なぜなら毎月のように、葛根湯や抗生剤などを含めたいろんな薬を送らせているので、その罪滅ぼしとお礼のつもりなのだ。

で、息子の誕生祝いをする約束の日が近づいて来たので、確認のメールをしたところ、目を疑うとんでもない返信メールが飛び込んできた。

メールの内容はこうだ・・・
二週間くらい前に、医者仲間の送迎会のあと、道路を横断中に車に跳ねられた、とのこと。
で、症状や処置を要約すると、右肋骨7本骨折、肺に血が溜まり、その他内外多数挫傷、足を50針縫合、足の傷が壊死しているため毎日広範囲包交中、とのこと。

さらに、医者仲間の目の前で車に跳ねられたため、即、適切な処置がほどこされ一命を拾った 、とあった。
さらにそんな状況のなか、一日入院しただけで、無理を承知で病院へ勤務をしているので心配無用、とあった。

責任感の強い息子は、たぶん、自分の患者さんとの手術や施術の約束を、人任せにはしたくなかったのであろう。
事故の数日後には、前から予定の脳外科手術をしているとあった。

息子は親に心配かけまいと、事故のことをすぐには知らせなかったのだろう。
ましてやバカ親は、沖縄で楽しく遊んでいたからなおさらだろう。

私は息子の事故を知らせるメールに、なにも返信しなかった。
なんとか無事ならいい、会ったときに笑わせてやればいい。

不幸中の幸いで、命があり体が動いているのだからOKであろう。
生きていれば、男は死ぬまでに何度か死の淵を歩くことがあり、その時の生死はその人間の運で決まる。

私も今までに、交通事故などで6度も生死を分ける瞬間があった。
すべてを詳しくかくと1冊の本になるので省略するが、普通の人間ならば、大袈裟でなく6度とも間違いなく死んでいる。
たぶん私の気力と運が、死の淵から生へと引っ張ったと思う。
この強運のおかげで、ギャンブルも相場も負けたことがないのだろう。
そんなことは、どうでもいい・・・

なんでいまさら息子の誕生日祝いを毎年しているのか、と問われれば、息子がヨメと私の誕生日を、毎年これでもかとプレゼントや食事で祝ってくれるからだと書いた。

まあそのお返し、という意味もあるが、息子の仕事は一年中殺人的に忙しいし、我々夫婦は遊びに超忙しいので、家族で会えるチャンスは年に3~4回くらいしかない。

それで、息子の誕生祝いには、私の手料理を振る舞って思い出づくりをしておきなさい、とヨメに厳命されているのだ。

息子の誕生祝いにと、洒落たレストランに連れていく方が、私にとっては、そりゃ~簡単である。
だが、いまどきどんな豪華なレストランに連れていかれても、一過性の歓びでしかない。

私があと何年、あるいは何十年生きるか知らぬが、それでも息子に逢える回数は、百回を超えることはなかろう


だから毎年の思い出づくりの意味合いも込めて、簡単で粗末かもしれぬが、私の手料理を食べてもらっている。

まあそれは、いわゆるすべて私の自己満足の世界であり、息子が実際にどう思っているかは、私の知ったことじゃない。
息子は迷惑に思っているかも知れぬが、それでいいとヨメも私も思っている。

ポロポロとこぼれてゆく思い出づくりかもしれぬが、それでいいと思っている。


by hiriver | 2017-12-08 20:50 | 日本あれこれ
<< ブッ飛び夫婦は迷惑条例違反?ガ... 寒いはずだよおっかさん、もう師... >>